奄美を感じる / 奄美コラム たまがてぃ! /

ひとりひとりのシマおこし

「自然では食べていけない。」この言葉は奄美に限らず日本のいたる所で、公共 事業を背景とした土木建設事業を推進、あるいは容認する人々からよく聞かれる 言葉ではないしょうか。

先祖代々の農地や里山、海や川が家族や集落の人々が自給自足が成り立つような 豊かな自然環境があったとしても、それが現金を産まなければ暮らしていけませ ん。しかし、国家財政の赤字、環境意識の高まりなどから、従来、公共事業を背景に 土木建設業によって下支えされてきた地域経済のありかたも限界があります。

前回に続いて、今、奄美が直面している、地域経済の自立と、豊かな自然と、奄 美の風土が育んできた豊かな生活文化を継承発展させていくという二つの問題に ついて考えてみようと思います。

■行政のひずみと奄美のザル経済

奄美群島における地域振興は「奄美群島振興開発特別措置法(以下、奄振法)」 に基づく振興開発事業です。日本に復帰した1954年から、復興、振興、振興開発、 新振興開発、振興開発第三次など、これまで50年間で9回法延長され、2003年度 までに総事業費約1兆8000億円(うち国費1兆2000億円)あまりが投じられています。

しかし、公共事業に基づく土木建設事業は設計、施工管理といったノウハウ、そ して建築資材を島外に頼るため、公共事業費として投下された資金の80パーセントが本土へ還流しているのが現実です。島内で調達できる建築資材は砕石や砂などです。少しでも資金の島外流出を食い止めようとするならば、必然的に山での砕石事業を拡大しなくてはなりません。

また、本来、自給的なものであった第一次産業を換金性の強い産業として育成するために、奄振事業として農林道、土地改良、灌漑、漁港整備などの産業基盤、共同利用施設の整備が行われてきたのですが、郡内総生産における第一次産業の割合は著しく減少しています。投資は生産に結びついてきませんでした。

これは、地域振興とはまた別の、国の政策や規制が影響した結果です。例えば、農業は戦後の甘味資源保護政策と減反政策によって水田が著しく減少し、サトウキビのモノカルチュア化が強まりました。しかし、このサトウキビも国際価格の下落で国の買い取りによって支えられている現状です。

漁業においては指定漁港制度と規制水域が障害となりました。奄美の港が指定漁港となるのは昭和50年代になってからです。そのため製氷貯氷冷蔵施設といった共同利用施設などをもつ漁港の整備が遅れました。他県や鹿児島県本土からの奄美近海でのまき網漁が問題となり始めたのも昭和50年代からです。奄美の規制水域は鹿児島県本土と同じ4000メートルです。同じ外海離島である沖縄県と同等の規制水域20000メートルを長年に渡って求めてきましたが、最近になってようやく実質的に10000メートルが認められました。しかし、その間にも沿岸の漁業資源は減少し、養殖による生産割合が増えています。漁業形態の変化は漁港はさらなる整備が必要となり、度重なる漁港の整備や改良は、さらに磯焼けなど沿岸海域の環境を悪化させる不安材料となってきています。

また、第一次産業の衰退は、食料の島外依存を高めました。つまり、島の中で自給できていた食べ物をわざわざ島の外から買わなくてはなりません。言うまでもなく食料以外の消費財はほとんどが島外からの移入品です。したがって奄美の消費者物価は鹿児島県100に対して奄美は109と高くなっています。

製造業では黒糖焼酎の人気が高まって出荷額が伸びていますが、原料の黒糖はほとんど沖縄や海外からの輸入で、奄美産ではありません。甘味資源政策で保護されているのは分蜜糖(ざらめ)で、黒糖焼酎の原料となる含蜜糖は保護されていません。したがって県として含蜜糖に補助金が出ている沖縄や海外の黒糖に比べて奄美産の含蜜糖はコスト高となってしまいます。

豊かな資源や好調な産業があっても、マクロ経済政策優先の地域振興計画、タテ割り行政のちぐはぐな規制と補助、対応の遅れによって産業と産業の連携がうまくいかず、資本は外へ外へと流出してしてしまう。奄美経済がまるでザルのような構造となってしまった大きな要因に行政のひずみがあったことは否めません。

■シマッチュのシマッチュによるシマッチュのための地域振興ビジョン

これまでの奄美が国や社会の情勢に強く影響を受けてきたように、今、自然環境への関心が高まっている状況もまた無関係ではありません。奄美の自然環境に対する評価も高まっています。

大規模開拓や投資を行いにくく、過去に不利な要素であった地理的な条件や多様で複雑な自然環境は、そのまま奄美群島の地域固有の、貴重な資源として関心が集まり、さまざまな調査や研究が実施されるようになってきています。

日本政策投資銀行の南九州支店は鹿児島県の離島の観光資源の経済価値を約5000億円と試算していますし、また、別の調査でも奄美大島の観光資源価値が約2500億円という試算があります。この大きな資源を生かさない法はありません。

これまでの公共事業偏重の振興は土木建設業への依存を強めてきたのですが、近年はこの公共事業も縮小傾向にあり、第三次産業の割合が増えています。観光産業を奄美におけるリーディング産業となれば、経済的な波及効果も大きいでしょう。

このインパクトの大きな観光資源を生かして島の産業を振興していくためにはどうすればいいのでしょうか?この問いに対しては昨年の9月に、鹿児島県がまとめた「奄美群島自然共生プラン」に総合的なビジョンが示されています。住民も行政も一体となって奄美の「宝」を発見、再認識していく過程を通じて、人と自然との「共生」、「地域多様性」の尊重、「地域主体性」に基軸をおいた地域づくりを進めていこうというものです。

私が奄美群島自然共生プランに共感して、その実現を強く願う理由はプラン策定の基礎となったと思われる調査報告書です。奄美のシンクタンクであった社団法人「奄美振興研究協会(1999年に解散)」は平成5年から二年間をかけて奄美の文化振興と農業活性化方策のための調査を行い、平成7年にその結果を「奄美文化列島博物館をめざして」という報告書にまとめています。奄美の民族文化研究の第一人者である山下欣一氏らが中心となってまとめられた報告書は、自然と共に生きることで培われてきた、シマジマの文化をシマッチュが作り上げてきた奄美独自の民衆文化であると明言しています。そして、シマに原点を持つ奄美の文化をそのままの形で継承発展していくことが望ましい振興方針であるとして、実に100項目以上に及ぶ具体的な提言が示されています。

平成5年と言えば世界的な環境持続社会への動きをうけて、日本でも環境基本法が制定された年です。環境基本法はその理念に「環境への負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築」が掲げられています。奄美の人たちがこのような世界的な情勢を捉えて、すぐに調査を実施し、「自然との共生」に島の活路を求めた経緯がうかがえます。

「ユイのこころ」と呼ばれるように、人と人との結びつきが深く助け合いの精神が強い島の人間関係は何よりの島の宝と思います。人と人との距離の近さは、一方で利害が絡み合って表ざまに意見を言いにくいという負の面もあるのですが、そのような事情にも考慮してプランの進め方を示している点も、まさにシマッチュの中から生まれてきた提言であると思います。たとえば、以下のような記述です。

「誰が気が付いてもよいのです。誰からはじめてもよいのです。それぞれの立場の人なりの役割があります。自分の得意分野からで奄美列島博物館を始めます。」
「まわりの様子を慎重すぎるほどうかがって足並みをそろえてやろうなどとは思 わなくてもよいのです。」
「行政が無理解だから何も進まないとか、住民が依存的で身勝手だから文化振興ができないと言う前に、得意分野からさっさと進めていった方が得策です。」
(奄美群島文化振興調査報告書「奄美文化列島博物館をめざして」より抜粋)

この報告書は、まさに、シマッチュのシマッチュによるシマッチュのための地域振興ビジョンであると思います。

■ひとりから実行できる島おこし

奄美群島をあるがままの姿で丸ごと博物館に見立てて島の内外から多くの人が集う場所にしていこう、というビジョンを実現するためにはどうすればいいのでしょ う?

交流や宿泊のための施設、島外からたくさんの人に来てもらうために飛行機の増便、沖縄に比べても高い航空運賃を引き下げるための補助など、たしかに行政の側からも取り組まなければならない課題はいくつもあるでしょう。でも、資本の蓄積のなく、また域内で資本が循環しにくい経済構造の島で先に設備を考えるのはどうでしょうか?補助金でなくとも島の外からの大きな資本を得ても、結局そのお金は島の外に流れていってしまうのではないでしょうか。

それよりも私は住民の側からひとりで始められることを提案したいと思います。
それは、ひとりひとりが今年よりもあと少しだけ多くの島外のともだちに島へ訊ねて来てもらうことです。

奄美群島の人口は約12万8000人です。すべての人が一人ずつともだちを呼べば、今年より12万人以上の来島者が増えます。この人口統計は赤ん坊から100歳を超えたお年寄りまでを含んでいますから、みんなが島の外から会いに来てくれる友人を持っているわけではありませんよね。でも、総人口の五分の一にあたる25000人の人が4人ずつ、島に来てくれる人を増やせば来島者が10万人増えます。
これなら実現できるのではないでしょうか。

観光のために島を訪れる人の消費額を観光消費額と言いますが、お隣の沖縄県では観光客ひとりあたり約70000円です。奄美での観光消費額が沖縄県とほぼ同等とするならば、来島者が10万人増えれば、約70億円の観光収入が新しく発生することになります。今年度の奄振の公共事業費が約350億円で、そのうち島に残るのは2割ですから、それとほぼ同等の金額を、外部の資本も頼ることなく住民自らが創り出せることになります。

ともだちに島に来てもらうだけですから、誰かと利害が衝突することもありません。また、この方法のよいところは実行した人から、成果が現れることです。空港や港、奄美の中心地である名瀬市から遠いところに住んでいたとしても、必ず、呼んだ人のところへ訊ねてきてくれます。そして、訪れてくれた友人たちと一緒に近所の人たちにどんどん紹介すればさらにネットワークが広がります。

例えば、私の島の友人の一人にお父さんが漁師という人がいます。最初は友人を訪ねて行ったのですが、その家で、仲間の漁師さんたちとも一緒になって、彼らが釣った魚と島料理を囲んで盛り上がりました。地元の漁師さんとも顔見知りになったので、その後は友人がいなくても夕方に港の漁協前に行っておじさんたちと一緒に飲んだりしゃべったりしています。島の漁師さんたちが集まって語らっている小さな漁協の前の青いテントは、東京の私の友人たちの間でいつのまにか「スナックみなと」と言う愛称で呼ばれて、島に行ったら一度は訪れてみたい場所になっています。

また、名瀬市にある「たつや旅館」のご主人は、不定期ではありますが、食堂を開放して黒糖焼酎パーティーを開いています。宿泊者はもちろん、玄関も開放していてご主人の地元の友人たちも訪れてきます。旅行者と地元の人たちが集まれば、話題も多様でおしゃべりが尽きることがありません。先日、外国から見えた宿泊者も開放的なたつや旅館での交流がたいそう気に入ったそうですが、なんと、この人は海外の著名な旅行ガイド「Lonely Planet」の取締役。来年発売の「日本編」にたつや旅館も掲載される予定なのだそうです。

島の内外の人たちとの交流を広めていくことは島の中のいろんな場面で可能ですし、その交流を通して会った事がない人ともネットワークを広げていくことができます。みんなの足並みがそろわなくても、自ら率先してともだちを呼び地域の人たちに紹介して交流を広げていけば、周りの人たちも知らず知らずのうちに自ずとネットワークの中に参加していくことになります。そして、ネットワークの広がりはそのまま自分が住むところに還元されます。

まずは隗より始めよ、ですね。
私も来年は今年より少し多く人に呼びかけて、一緒に島へ行って、みなさんに私の大好きな場所や人、島の風物を紹介するツアーを企画しています。 もし、あなたが、まだ、奄美を訪れたことがないのでしたら、私と一緒に奄美へ 行ってみませんか?

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