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見守られている気配
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島に帰り名瀬に着くと、「立神」が近くに来ていて驚く。
かつては、立神に近づけても、赤灯台か、ヤギ島か、という感じだった。
一番、立神を近くで見る事が出来たのは、港から船で出るときだった。
初めてのひとり旅で上京する折りに見た立神は、意外と小さかった。岸壁から見ている方が大きく感じられていたのは不思議だった。
荒波に足下を洗われながら、ここで幾百、千、万の人々を見送ってきただろう立神を見ていると、自然と心の中で手を合わせた。
「ヨイスラ」の歌詞にも出ているように、港を出て行く旅人が、この立神に船旅の安全を祈ったのもうなずけた。
名瀬の立神には、灯台があり、その立神から照らされる灯りは、港にはなくてはならないものでもあった。今もそうだと思うが。
去年、名瀬の港に、大きなバイパスの橋が架かった。
そこから見る立神は、以前のような神々しい感じはなく、身近だった。
新しい島の歴史を感じた。
昔のように、旅に、命の危険を感じることもなく、もしかしたら最後のお別れかもしれないという意味合いも今は無い。

シマジマの港の入り口に立つ立神は、船旅だけに限らず、すべての訪れを見守っている役割があったような気がする。
だからこそ「神」がつくのだろう。


「災いは、入れないでください。幸せだけを通してください」

その村々の守り神だった立神。
森羅万象に見られている気配を感じていた子供の頃。見張られているのではなく、見守られていたんだなと今は思う。
島に戻ると、そのころの気配がまだ感じられる。いつまでも消えて欲しくないものの一つだ。

(2005.2.16)


写真=紬会館から立神を臨む(2004.11月)

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